2018.08.1
ZEROへの道程 ー世間話ー
父、林襄と私の親子関係は少々いびつ?いや異常な状態だったと言える。
父親と「世間話し」をしたことがなかったのだから。
何しろ、強烈な親父であり反発心しか持っていなかった私は、
物心ついた頃から、父親に話しかけるのをやめてしまっていたので、以来、
親父の質問に答える「報告形式」でのみ、かろうじてコミュニケーションが
成り立っていた。
(今思えば親父にとてつもなく寂しい思いをさせてしまったと後悔しているが、
先に立たず。。。)
会社に入ってからは仕事上のことは話すのだが、それ以外は一切なし。
親子らしい会話というものが一切なかった。
が、父の入院をきっかけに会話をすることができた。
たわいもないことだが、かえってそんな普通な話ができたことが嬉しかった。
当時の日記にもこう綴ってある
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11月6日 親子の会話
いつもと変わらぬ月曜日で、とにかく細かいことが多すぎて未決の箱には乱雑に書類
が積まれていく結果になってしまった。そんなもの見た瞬間に処理しなくてはダメだ。
(中略)
夜、親父に面会。とりとめのない話をした。
オレはバクチををやらない、そういうところは親父に似なかった。義理でカミさんの
お父さんと競馬をやったことがある、などとたわいもない話しだったが、何でもない
普通の親子の会話ができたことに小さな幸せを感じた。
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2000年11月6日当時の日記 抜粋
もっとも、後年海外渡航の機会があったときに、寝る間を惜しんでバカラに熱中
したところを見ると、結局のところ血は争えないということなのだが。
(ZEROへの道程 エピソード5 闘病)