2019.02.4
倉島さんを送る
存外に照れ屋だったんだな
と30年近く同じ会社にいながら初めて気づいた。
サマータイムならぬ、倉島タイムとも言うべき朝方人間で、コテっ早く回収を片付け
る人であった。
長距離運転がたたり腰の手術をした後もトラックに乗り続け、定年の日を迎えた。
気がつけば昭和56年の入社以来、37年と6ヶ月という永きにわたりお勤めいた
だいた。
みんなの前で最後のあいさつを、と勧めたが
「えーーーーーそういうのはいいよ」と手を横に振るばかり。
それでも、と花束(と言う名の粗品)を渡そうとみんなの前に引っ張り出した。
本人の前で改めてお礼の言葉を述べていると、倉島さんの顔がみるみる感極まって
くるのがわかったので、これ以上話しているとこっちまで極まってしまう、と花束
を渡した。
そっけないいつものふりをしていたのはその逆に感慨深いものが去来していたのだ
なあ、とその時わかった。
最後に写真を、といったのだが、えーそういうのはいよ、と撮らせてもらえず、だった
が、はらさんの執念の一枚があった。
倉島さん、長い間ありがとうございました。