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2014.03.4

ZEROへの道程 ー二足のわらじ その2ー

宿題もテストも時間割もない適当な小学校から、いきなり普通の中学

長野市立柳町中学校に入学した。

時間割に従い、各教科の授業を受ける、或る意味新鮮な学校生活のスタートであった。


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2014.03.3

ZEROへの道程 ー二足のわらじ その1ー

私が野球に出会った原初の記憶。

聖フランシスコ保育園の園庭で、母親にボールを投げてもらいプラスチックの

おもちゃのバットを振るが一向に当たらない。

ぎゃーぎゃーと泣きわめきながら母親を困らせた。


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2014.02.3

ZEROへの道程 ー画家と指揮者 その2ー

それで、なぜ画家になりたかったのか。

それは小学校の先生の影響からだろう。

当時の小学校(特に城山小学校は?)は、かなり適当な時間割であった。

小学校2年から6年までの担任の伊藤和宏先生は図工の先生で、とにかく

年がら年中「図工」と菊などの花の手入れしかしないのである。


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2014.02.1

ZEROへの道程 ー画家と指揮者 その1ー

子どもの頃

画家 か 指揮者

になりたかった。

なぜそうなのか?理由など考えた事もなかったが、自分の道程を整理する上で考えて

みたい。(みなさまには余計なことですが)


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2014.01.4

ZEROへの道程 ー誕生ー

格好つけるこどもであった。

 

だらしのない祖父がアルピニストとして放浪の末、腰を落ち着けた長野市。

その地で父は起業し、倒産し、再起をし、一家総出で猛烈に働いていた、

そんな時に私は母のお腹の中にいた。

一日中動いている母に、医者は「お腹の赤ちゃんは諦めてください」と告げていた。


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2013.12.5

ZEROへの道程 ー執筆秘話ー

今年1月4日

EQUAL ZERO のスタートにあたり、何を書こうか、、、

と考えたところ

「高崎の総合病院の嫡男として生まれた祖父はだらしのない男だった」

という文章が頭に浮かんだ。


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2013.12.2

ZEROへの道程 ー人生の足あとー

本社社屋を去るに当たって


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2013.11.1

ZEROへの道程 ー清算ー

プライベートの林襄を語れる人は、息子である私を除いてはいないであろう。

家での林襄は寡黙な人であった。


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2013.10.1

ZEROへの道程 ー蹉跌ー

日本ベンチャービジネス協会副代表幹事

金融問題研究委員会リーダー

長野県商工振興連盟常任理事

長野商工中金出資者協議会世話人

長野県自由経済研究会常任理事

長水商工団体振興連盟常任理事


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2013.09.2

ZEROへの道程 ー拡大ー

爆発するエネルギー   7年で60倍

昭和49年当時の、会社案内の見出しである。


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