2018.09.3
ZEROへの道程 ー選択ー
病気の判断において、セカンドオピニオンがいかに大切か、
一番大きな人を失って学んだ。
そもそもヘビースモーカーだった父は咳き込むことが常だったのだが、ある時から
あまりにも咳き込みがひどくて友人であるかかりつけの町医者に診察を受けていた。
町医者曰く、
「レントゲンを撮って経過を観察しているが、肺がんなどではない」
との見立てだった。
が、咳き込みは一層ひどくなり10月に市民病院へ行ったときには手遅れだった。
そこで、今後3回ほどすることになる「藁をもすがる思い」で国立がんセンターに
セカンドオピニオンを求めた。
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平成12年11月7日
宏道、東京がんセンターへ平井先生の診断書を持って行く、8日には方向性が出
るかな。
長野から離れてがんセンターへ行くとなれば、少しは周りの人への迷惑も少なく
なるかなと思う。
特に女房は大変だと思う、俺より病気にでもなられたら大変。
○ただときどき顔見知りと心の交わった話しができなくなることは寂しい
○万が一長野へ帰って来れないときサヨナラと言っておきたい人に言いそびれるの
が残念だなー
本心
東京で死を迎えるより、愛着のあるこの故郷、長野の地で死ねればと思う。
人々の善意をまず受けとめて行こう。
何の不安も未練もないのが不思議
その時がより近く現実的になれば変化があるのかなー
自分の人生の終わりが近づいている実感はほとんどない
これは何だろう
精一杯生きてきた自負なんだろうか、全く以前と同じ毎日が過ぎていく。
唯、自分が生きてきた過去を一切後悔せず来るべき死を淡々と迎えるであろう。
何かそのときを楽しく期待しながら待っている自分が不思議でならない。
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林襄の日記 まま
そして、平成12年11月14日 転院
国立がんセンターでの治療が始まった。