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2021.11.4

バトンタッチ

33年の時を経て、2葉の写真が揃った

 

1988年10月31日

神宮18

大学時代は鳴かず飛ばずだった

新人戦(1、2年生)のベンチには2度入ったものの、リーグ戦には

全く縁がなかった(実力がなく)

最後の最後、4年秋のリーグ戦の閉会式だけ、ユニフォームを着て参加

することができた

息子のユニフォーム姿を見るためだけに上京してきた親父と、神宮球場で

撮った一枚である

 

2021年10月29日

平塚603

息子の4年秋のリーグ戦

やはりずーっとベンチに入れなかったが、最後の最後にベンチ入りして

最後の試合で代打でヒットを放ち、十四年間の野球人生を締めくくった

(親父の目の前でヒットを打つのだから勝負強い親孝行者だ)

 

あれから33年

社会人になり、親になり、社長になり、いつの間にか時が経ち、

なんという巡り合わせか、親父と同じ歳となり、同じような写真に納まる

こととなった

あとは、親を離れ、自分の人生を生きるのみだ

 

バトンを渡しきれた

33年後は、まかせた

 


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2019.06.21

あのときの「ヤキニク」

私は素人ながら、ドラマに1本、CMに1本出演している

先日、小田和正が長野にコンサートに来ていたということで思い出した


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2019.05.31

いたみのものさし

痛いですか?(はい)

どのくらい痛いですか?(なに?)

今までの人生の中で一番痛かった事を10とすると、どのくらいですか?

「1ですね」


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2019.04.30

ZEROへの道程 ー卒業ー

ZEROへの道程 エピソード5 ー闘病ー

 

その時は来た


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2019.03.1

ZEROへの道程 ー創立記念式典ー

ZEROへの道程 エピソード5 闘病

 

父 林襄 が病に倒れてから、社員の前にたったのは二度

その一回目が、1月に全社員参加で行われていた創立記念式典だった。

この式典は父の社長業のなかでもっとも大切にしていた、社員全員に自らの思いを

伝える場であった。


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2019.02.1

ZEROへの道程 ー転移ー

(ZEROへの道程 エピソード5 闘病) 注;私は元気です

 

平成12年秋、父への突然のガン宣告以来、一喜百憂してきたが、年が明けた

平成13年、これで効かなかったら打つ手がない、と最後の抗がん剤を投与した

ところ、劇的に効いた。

まさかの復活、林襄のど根性はこんなところでも奇跡を呼ぶのか、と喜んだのも

つかの間、退院準備で念の為検査をしたところ。


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2019.01.4

ZEROへの道程 ー回復ー

(ZEROへの道程 EPISODE5 闘病)

 

ガンの動きは予測不能である。


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2018.12.3

ZEROへの道程 ーバイブルー

(ZEROへの道程 EPISODE5 闘病)

余命3ヶ月

セカンドオピニオンを求めて国立がんセンターへ転院してから40日余りが過ぎ

再び長野へ帰ることとなった。(帰ることができた)

その間、後藤先生との出会いなど最高のスタッフに治療をうけ、初めはなんとも

動きのなかった抗がん剤も、ある時を境に効き始めて、長野へ戻って治療を続け

ることになったのだ。

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2018.11.1

ZEROへの道程 ー藁ー

(ZEROへの道程 EPISODE5 闘病)

 

平成12年秋、父が余命3ヶ月の宣告を受けて

「藁をもすがる思い」

というやつを3回ほど試してみた。


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2018.10.1

ZEROへの道程 ー後藤医師ー

(毎月初めの ZEROへの道程;エピソード5 闘病)

 

国立がんセンター東病院

東京近郊とはいえ緑が多く、天気の良い日は公園のはるか先には富士山が見える。


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