2018.07.2
ZEROへの道程 ー余命ー
2000年、平成12年の秋 10月11日
長野県知事選挙の真っ只中で、永年勤めた吉村牛良知事の絶対的後継者であった
池田副知事に対抗して、なんと田中康夫が立候補してきたそんな時だった。
久しぶりに東松山へ行き、わが社に修行にきていた若旦那とその家族と、
いつものように腹一杯焼き鳥を食べたあと、いつものようにもう一軒行き、
いつものように胃袋がはち切れそうになっている時だった。
いつもとは違い、当時の専務から電話があり、社長(親父)が24日から入院、
場合によっては手術だということだった。
それ以外の情報はどうやらなかったようで、いやな予感ばかりが頭の中をグルグル
まわり、10月24日入院の日となった。
診断は癌。
右の肺いっぱいにガンが広がっているということだった。
翌朝起きてみたら、昨日の出来事は夢だった、悪い夢をみたものだ、などど胸を
なで下ろしてみたかったのだが、当たり前のように昨日の出来事の続きの今日が
始まろうとしていた。
当時の心持ちを思い出してみると、まずこの時点で感じていたことは、
「本当にあの、林 襄が死んでしまうのであろうか」という疑問だった。
答えなど出ない疑問を、来る日も来る日も思っていたような気がする。
いや、本当は答えは医師から出ていた。
この状態の人が生きられる余命は、3ヶ月から6ヶ月とのことだった。
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ZEROへの道程 エピソード5 闘病