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2009.05.9

8年

みすず工業の先代社長が逝ってから今日でちょうど8年になる。

 

正確にいうと、8年前の今日は夜臨時役員会議を開き、会長(1か月前に社長を交代

していた)が亡くなった場合の葬儀の準備などどうするか、検討をしていたところに

母親から 「今すぐに来て」 と電話が入り病院に駆け付けたが、すでに天上の人に

なっていたのだった。

午後10時04分

 

ひとことで言うと、強烈な人であった。

こと、 「話し」 においては私は自分の父親ながらこの人以上の論客というのを

あまり知らないくらい、弁が立つひとであった。

特に真価が発揮されたのは選挙の応援演説。

その熱の入り様と崇高な理念は、しばしば応援される側の政治家がかすんでしまう

ほどだった。

 

また、だれに対しても、どんな場面でも、とにかく情熱的に時には声を荒げておせっか

いなほど話し続ける、その姿を近くで見ていて、そんなに話さなければいいのに、、、

とずっとハラハラと見守っていた。

 

その反動だろうか、私は人に対して、あまり踏み込まないクセがついてしまったような

気がする。

(トラウマというやつだろうか)

 

そんな、一度出あったら良いか悪いかは別として一生忘れられないインパクトを人に

残した強烈な人も、病気には勝てなかった。

 

おれほどの弁舌家が、ついに一言も遺言らしきことを言っていかなかった。

まあ、私にしてみれば 人の生き方というものを、毎日の立ち居振る舞いを通して教え

られたのだから、それが私たちに遺してくれた遺言であったのだろうと理解している。

 

その遺言を生かしているかどうか。。。

林 襄 はこの難局に対してどれほどの弁をふるって挑むであろうか。