2019.02.1
ZEROへの道程 ー転移ー
(ZEROへの道程 エピソード5 闘病) 注;私は元気です
平成12年秋、父への突然のガン宣告以来、一喜百憂してきたが、年が明けた
平成13年、これで効かなかったら打つ手がない、と最後の抗がん剤を投与した
ところ、劇的に効いた。
まさかの復活、林襄のど根性はこんなところでも奇跡を呼ぶのか、と喜んだのも
つかの間、退院準備で念の為検査をしたところ。
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平成13年3月1日
我が生涯で一番厳しい冷酷な診断が下された日だった。
松橋と力ちゃんが来て、懐かしく話に花が咲いた、その時、多分3月5日の
週には退院、自宅療養になるのでは、そして体力の回復を待って、第5回め
6回めぐらいまでの抗がん剤を打ちたいとの主治医の話をしながら、元気に
なったような錯覚を交えるから話に花が咲いた。
その最中平井先生が回診に見えた、あれ!いつもと調子が違うなと感じ、今日
撮ったMRIの頭部写真について話をしたいので息子さんを呼んでほしいとの話。
これはおかしい、頭部への転移の話だなと直感した。
平井先生の説明
MRI(頭部検査)の結果三か所の転移、1センチ程度が見られるので、
明日早急に放射線科の先生の診断を受けてくださいとのこと。
直接照射と全体への照射と二つの方法があるようだが、いずれにせよ3月退院
は夢となった。
それより最悪の状況が待っていることも覚悟して対応しよう。
ガンは医者にもわからない、突然大きな変化、進展を見せる不思議な病だと前に
も記したが、まさにその通りだ。
しかし、今回ははっきりと命の限界が見えたので、昨年の生命の覚悟のときより
鮮明に現実として生命の終わりが見て確認できた、医者も同意見である。
これからは
1 明るく
2 無理なく、やるべきをやる(公職をやめること、社長交代)
3 女房に対する配慮をする
6ヶ月も余計に生命を長らえることが出来たのは多くの人の友情があったからだ、
ありがたいことだ。
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林 襄 当時の日記 まま
天国から地獄とはこのこと。
なまじ、天国を見せられただけに残酷であった。
しかし、死を宣告されたようなものなのに、まだ前向きに生きようとする
父 林 襄 はなんという人間なのだろう。
やがて、自然の摂理のごとく、人生の卒業式へと向かう。