2009.03.18
時を感じる
二コリともせず。メソリともせず。
誠に感情を表に現さない娘だが、今日ばかりはその娘の表情に救われた。
卒業式。
ぴんと張り詰めた空気と、6年間の惜別の空気が入り混じった、決して他では味わえない式である。
私自身も、保護者としての祝辞をしなくてはならないという、いつもと違う過度の緊張感と、娘が大好きだった学び舎を巣立つ日、という二つの感情でいっぱいいっぱいになっていた。
卒業証書を受け取る娘を想像するだけで、その感情の堰が切れてしまいそうになったが、娘はどこ吹く風、かえってその無表情を微笑ましく思い、感情のバランスが取れたのであった。
挨拶は?
YOU TUBE で偶然見つけた カーネギーメロン大学のランディパウシュ教授の「最後の授業」からヒントを得て、
「もし、自分が明日死ぬとしたら、今皆さんに最後に伝えたいこと」
を二つ話した。
手ごたえは?
月並みだが子どもの成長ほどうれしい事はない。
そして、卒業式ほど子どもと過ごしてきた年月、自分自身の歩んできた年月を真剣にかえりみる時はない。
普段は事業計画や決算など、年度年度の区切りをつけて物事を考えているつもりだが、頭の中だけではなく、心という感情まで、時の流れを感じることができるのが、卒業式である。
それまで歩んできた道を振り返り、時の流れを感じることができるのが卒業式だと思う。
そして、時の流れを感じるということは、残された時間も確実に少なくなっているということを自覚するということでもある。
学校を卒業した今、人生の卒業式に向かって、自分はあと何回卒業式を迎えるのであろうか。
卒業生に伝えた言葉を自分にも送り、人生の卒業式に至るその日に 「よくやったなー」 と大満足したいものだ。
人生という旅の計画を立てよう
人生で出会う出来事には すべて意味がある