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2009.11.12

貫く人  感想編

沈まぬ太陽  を観て思ったこと。

 

 

それは、昭和と平成の時代の違いである。

 

どう違うのか、、、と問われるとうまく表現できる自信がない。

ひょっとしたら、読む人によって異なる印象を受けてしまうことになってしまうかもしれないと思うが書いてみる。

 

この映画は、国民航空を舞台にした巨悪と正しき信念を貫いた男の物語である。

物語りの時代、昭和の高度成長期には少なからず、国民航空のような出来事やその他の

 「正しくないこと」 がまかり通っていた時代であったのではないか。

 

そして、みんな一丸となって頑張ったり、「正しくないこと」があったり、みんなひっくるめて日本の高度経済成長があったのではなかったのかと思う。

遡ると、近代国家としての日本も相当「やばいこと」をしてきたきらいがある。

たとえば日露戦争開戦を控えた海軍の軍備増強に関しては、時の山本権兵衛海軍大臣と西郷従道文部大臣とのウルトラCがあったようだ。

結果的には国防という意味において、日本を守ることになるので、 「正しくないこと」 が正しかったということになる。

(その後の経過、戦争そのものについての罪はここでは省く) 

 

しかし、振りかえってみればそういった「正しくないこと」 の中にも善悪はあったのではないか。

同じ 「正しくないこと」を やるにしても、善悪の判断を誤るととんでもないことになる。

近代国家日本の誕生から昭和の高度成長期までの期間において、善悪の価値判断が徐々に麻痺してきた結果巨悪がはびこる社会に陥ってしまったのだと思う。

 

そこで本来あるべき、正しい社会 にしなければならない。

悪いことは悪いとして、正しいことが正しく行われる社会にしなけれなならない。

 

今の時代は正しい社会を実現していこうと血眼になっている時代である。

それ自体は善いことであると私は思う。

が、一方では窮屈感や、せちがない世の中、も同時に感じてしまうのも本音である。

昭和の時代にはあった、 「情」 が薄くなったと言ってもいいかも 知れない。

 

正しいことを追及することは正しいのだが、それだけでは生身の人間である我々が人として幸せに生活していけるようにはならないのである。

そこには人間として善か悪かを考える部分が必要になると思う。

 このことは、藤原正彦氏の 「国家の品格」 の考え方に似ているかもしれない。

 

世の中の法律だけをを守っていればよいのではない。

その先にある、本来あるべき姿、、当り前のことを当たり前にする、善いこと悪いことの分別をつける、

一言で言ってしまうと倫理感をもった行動がいま必要であると思う。

 

みすず工業ではこれを

  「規律あるチームワーク」 と 「家族的なつながり」

として実現していきたい。

 

今の自分の考えを表現するとここまでだろうか。。。   (わかるなかな、、、わかんねえだろうなあ、、、、)