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2011.01.4

12月31日

私が子どものころなりたかった職業。

それは画家と指揮者である。

 

小学生のころは1年生のときペンギンの絵で、4年生の時チャボの絵でそれぞれ何かの展覧会に入選して

信濃美術館に飾られたし、中学の卒業文集の表紙絵は私の唐辛子の木の絵だった。

ゴッホにあこがれ、ゴッホをまねてエネルギッシュな絵を良く描いたものだ。

 

同じく小学生のころ、校内放送でよくクラシック音楽が流れていた。

そこでその放送に合わせてダイナミックに指揮をしてクラスの注目を集めるのがとても心地が良くて、

放送が流れるたびに一人悦に入って指揮をしていた。

 

そして中学のころは、ウチマンに「このクラスの指揮をするのは林しかいない」 と言われ

音楽会のクラス指揮者として本物の指揮をした。

 

いまでもその癖が抜けなくて困っている。

年末と言えば第九だ。

 

NHK交響楽団とヘルムート・リリングの第九。

みんなで紅白を見ているリビングを抜け出し、独り観た、、、というか

私がN響を指揮した。

 

食べ終わった箸を使い、力の限り指揮をするその姿にカミサンは無反応、子どもたちはケラケラと笑っていたが、

本人は大満足、大爽快であった。

 

いやあ、第九を指揮するのは疲れる。

 

で紅白に戻り、ゆく年くる年で新しい年を迎えた。