New entry

ですますイップス

長野マラソン 完走率2024

罹患 復帰

罹患 症状

罹患

New entry

仕事のこと

ゼロの風景

私の思い

人 ひと

Private

マラソン日記

こだわり

ZEROへの道程

New entry

2018.12.3

ZEROへの道程 ーバイブルー

(ZEROへの道程 EPISODE5 闘病)

余命3ヶ月

セカンドオピニオンを求めて国立がんセンターへ転院してから40日余りが過ぎ

再び長野へ帰ることとなった。(帰ることができた)

その間、後藤先生との出会いなど最高のスタッフに治療をうけ、初めはなんとも

動きのなかった抗がん剤も、ある時を境に効き始めて、長野へ戻って治療を続け

ることになったのだ。

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

平成12年12月26日

いよいよ最後の日

やはり日本一のがんセンターは名ばかりではなかった。

宏道以下、会社幹部ほか多くの社員、取引先、友人、身に余る愛情を頂いた。

振り返れば俺の人生の中で触れ合い重ねて来た日々に、そんな価値のあるも

のだったろうか、身に余る光栄という言葉以外に見つからない。

多くの良い人たちに囲まれて生きて来た人生に、

感謝、

乾杯、

限られたこの命、この人たちに少しでもお返しの出来る生き方を考えながら帰ろう。

 

入院以来2ヶ月余り、久しぶりにスケジュールノートを見た

「何もないノート」

淋しい、ああ俺の何万日も続いた

「前へ前へ」

「負けない諦めない」

「転ばぬように」

「何を求めるのか」

「今何をしなければ」

そんなことを綴りながら、自分の為に、自分を鞭打つ為に綴って来たノート。

12月何も記入していない、入院以来の日々全く考えられなかった先の日々、、、

昨日、新しいノートを取り出す。

「このノートは創業以来何十冊になっただろう」

これこそが、俺の人生の友、宝だ、肌身離さず、ずっと身体と共に、まさに俺

のバイブルだ。

しかし新しいこのノートを抱きしめながら何も書けない自分が、死を覚悟した

あのときより悲しい。

長野へ帰ってまず少しでも健康を取り戻そう。そして新しいノートに何を書けば

良いかを考えて大切に人生のバイブルとしよう。

 

今までのノート 俺が死んでもみすず工業と創業者、林 襄 の生の生き様を写

した宝だ。宏道の、会社役員たちの何かの足しになるなら、会社がある限り永久

保存としてほしい。

「これが俺の生き様だ」

 

夕方、小林、早川両名が来てくれる。

いよいよ長野、故郷だ

これで入院日誌第一部を終わりとしよう。

第二部は長野へ帰っての出発から考えよう。

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

当時の日記まま

IMGてちょう837

大切に保管してある手帳。

見ることは滅多にないが、開いたときにかすかに残るタバコの匂いで社長を

思い出すので、置いてあるだけで安心する。

 

やはりバイブルということだろうか。