2020.05.21
夏の甲子園中止
永い間、高校野球を見ている
自分の母校や応援するチームは、大概どこかで負けてしまい、甲子園
の土を踏めない
甲子園の土を踏めないまでも、いい試合をしてもらいたいものだが、
それもままならないで、無残に負けていることがほとんどだ
なので、どこか自分のなかで不完全燃焼な気持ちを抱えながら
永い間、高校野球を見ている
人生、思う様にいかないなあ
などと思いなだら
けれど、今度ばかりはなんとも、気持ちの行き所がない
レギュラーになれなかった悔しさや、大事なところでエラーした後悔や、
仲間と過ごした過酷な練習の終焉や、勝った喜びや、
それら全ての出来事は彼らの成長の糧となる
それも、「負け」という明確な終わりがあってこそ
この歳になってみると、今回の経験もまた成長の糧
と自分を(無理やり)言いくるめることができるのだが、
高校三年生の’彼らには、かける言葉が見当たらない
彼らが、私の年頃になった時に、
そんなこともあったよなあ
と振り返ってくれる様になることを、今は願いたい
その時になっても、
なにかどこかに「しこり」のようなものを抱えて
生きているのだろうけれども