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2013.03.1

ZEROへの道程 ー野球ー

私が絵を観るのが好きなのは祖父のDNAなのだろうか。

とすれば、だらしのないDNAも引き継いでしまっているかもしれない。(思い当たるフシもある)

 

戦後林家の生活は凄惨なものであった。

なにしろ一家の主(祖父)が絵ばかり描いていて、働かないのである。

一家の働き手となったのは祖母 まつ とその長女 暁美のふたり。

父林襄も親戚を頼って訪ねてはみるものの、そこは「廃嫡」の家族であるからして門前払いも一度や二度ではなかったらしい。

 

まして父 林襄は生来病気がち、名前のつく病気だけでも指折り数えられるほどだったが中でも大きかったのが心臓弁膜症という病気だったらしい。

 

アイスキャンデー売りをしながらわずかばかり家計を助け、詩や短歌を作る(自称)文学少年だった父はやがて地元の長野中学へと進学を志す。

病気で学校を休みがちであったところへきて、地元の最難関校ということで当初先生からは見放されていたのだが、「なにくそ」精神で結果は合格。

 

晴れて旧制長野中学校に入学したのであった。

入部したのは当然、文芸部。

その頃も微熱が続く毎日で、文芸部が終わって土手に腰を降ろしては眺めていたのが野球部の練習だった。

 

そして、なぜか父 林襄はそれまでやった事の無い野球部に入った。

今となってはなぜそんな事を思いついたか聞く事もできないが、、、

とにかく野球部に入った。

 

そして 林襄のその後の人生は野球とともに歩んだといっても過言ではない。

 

つづく