2014.04.1
ZEROへの道程 ー鳴り物入りー
高校入試。
今までの人生で一番勉強をして臨んだのに、
明らかに白紙の目立った数学の解答用紙。
なにがどうなってしまったのだろう、、、パニックのまま試験は終了。
試験後、中学校で校長先生からふいに肩をたたかれてにっこり笑顔を返されても、
試験のことか?校長裁量?と疑りたくなった。
(当時校長裁量という、校長先生の判断での繰り上げ合格があったとされていた)
合格発表の日。
落ちた人は担任から朝1番に電話がかかってくるという噂もあり、電話のベルに超敏感
に耳を澄ませていながら、発表の時間が迫り長野高校に向かった。
と、先に行っていた友達が「林も受かってたよ」とのひと言で、
あっけなく合格がわかりなんだか気が抜けてしまった。
早速、その足で野球部の入部願いに「長野駅」へ向かった。
なぜなら、その春の選抜甲子園大会に長野高校が出場、長野駅を出発するところで
あったからだ。
春のセンバツ甲子園はスタンドから応援、帰ってきた初日の練習から合流した。
さて私の入部、後で聞いた話しだが、オヤジと監督との事前の話し合いから、
「10年に一人の逸材、俊足で大型のスイッチヒッター」
と「鳴り物入り」での入部であったらしい。(スイッチヒッター=左右両打)
(実際には普通の選手だったにも関わらず)
なので、甲子園後最初の練習試合から、入学式も済んでいないのにいきなり代走で
使ってもらい、しかもノーサインで「行けたら行け」つまり盗塁を指示された。
で、舞い上がってしまって、初球の牽制球であえなくタッチアウト。
苦いデビューだった。
その後もちょくちょく試合に使ってもらい、春の大会のベンチ入りも果たして
県大会で優勝、北信越大会でもベンチ入りさせてもらった。(試合は出ていないが)
が、鳴り物 もそこまで。
どうしても打てない、それも左の方が良いということで左打ち一本に絞ったのだが、
これがゴロしか打てない始末。
いい加減監督もしびれを切らして、夏の大会ではベンチを外れ、補欠に回った。
一年 夏からの 長い低迷期の始まりであった。