2008.12.3
ひとを裁く
裁くほうも裁かれるほうもいい気持ちのする仕事ではない。
裁判員制度というのは、およそ日本人の気質に合わないしくみのような気がする。
日本人は物事の判断基準にその 「物事」 にまつわる事象だけではなく、それに関わる周囲の人の判断も参考にするのが一般的だからだ。
私はこう思います。
と自分の意見をストレートに出す人は少ない。
しかし、である。
先日新聞を読んでいると目をひかれる記事があった。
ズボン姿の女性撮影 被告の上告棄却 「みだら」確定へ 最高裁
携帯カメラで女性の尻を撮影したことが、北海道迷惑防止条例違反(みだらな行為の禁止)にあたるかどうか争われた件で、最高裁で「みだら」が確定されたという。
その裁判官の一人が以下の反対意見を述べている。
「尻の撮影自体がみだらなのか疑問で、尻だけを撮影したとも認められず、無罪」
最高裁判事なので我々とははるか違うレベルの良識をもっているので、なるほど起こった事象を理論的にとらえるとそうなのかなあ、、、、と一瞬思いたくなってしまうが、普通に考えたらそれは
「お尻好きなおじさんが衝動を抑えられなくて撮っちゃった」 ということだろう。
実際私の知り合いに、やはりズボン姿の尻を撮影された女性がいて、聞いてみるとあれは精神的にしばらくショックを引きずるということだ。
この記事を見てからは、ごく普通の生活をしている人が感じる罪に対する意識というのもひとを裁くうえでは必要なのかもしれないと思った。
(ただし、新聞記事自体は、書き手の思想が色濃く反映されるので決して発言の一部だけですべてを判断してはいけないが)
もし自分が裁判員になったら。
ひとを裁くということには大変なプレッシャーがありどのような判断を下しても後味の良いものではないだろうが、与えられた役割ならば自分の能力のすべてをつぎ込んで良識と常識のあるジャッジをしたいと思う。