2008.12.11
ひとを送る
役柄のせいで多くの人を送っている。
親族、社員、社員の親族、取引先、知人、、、幸い友人はまだ送っていない。
今日はわが社の元常務の父を送った。
常務が会社にいたときから痴呆が進み、その面倒を見る奥様に過度な負担がかかっていて、常務の話を聞いているだけでもその苛酷さが伝わってきていた。
式場で奥様にもお会いしたが、安堵の様子が見て取れて、ご主人が亡くなったことは悲しいに違いないが、正直なところほっとしたのも事実であったろう。
最近の式場では故人の生前の姿を映し出す映像が流れる。
人はみなその人生の中で輝いているときがある。
たとえば結婚式に呼ばれたときにいつも感じるのは新婦の輝きだ。
容姿の優劣ではない、内から湧き出てくる喜びや充足感が溢れている美しさにいつも、誰のときでも見惚れてしまう。(ちょっとまずいか)
故人の写真の中にも若かりし頃のブロマイドのような一枚があった。
写真屋で撮ったであろうその一枚はご本人がサインをしていたりしてお気に入りだったに違いなく、女のひとりも泣かせそうな甘いマスク (今風に言うとイケメンか) であった。
晩年は車いすにのりその姿は老いを感じさせられるのものであったが、この人にもあんなに若く輝いていたときがあって、老いてもなお家族に囲まれて生活ができたことは幸せな人生だったのだろうなと思いを巡らせた。
自分が一番輝いていた時はいつだろうか。
輝いているかどうかは別として、大変だが今が一番充実していることは確かだけど。