2009.11.25
描く人
会議中ふと思いついて、ホワイトボードに城の絵を描いてもらった。
ちょっとさ、城の絵描いてみて。
えって、シロですか?
そうや、キャッスルや
ジャパニーズ キャッスルですか?
そうや、描いてみてくれへんか、、、、
とまあ、技術開発担当の明石出身の内海には妙な関西弁で話しかけることにしている。
何でこんなもの描かなあかんのやろ、、、と本人思いつつ大きな城の絵を描いた。
今度は私が石垣の部分だけ小さく描いて、この上に城を描いてみてくれへんかと頼んだ。
そうしたら、ひょろ長い火の見櫓のような城?になった。
石垣には思い出がある。
数年前、ひょんなことから九州は福岡からみすず工業に入社してきた若者がいた。
その彼の結婚式に呼ばれて小倉に行ったときにぶらりと寄った小倉城。
その自然の石を積み上げた野面積みの見事な石垣に感動し、みすず工業もこうありたいと思ったものだ。
大小大きさや形が不ぞろいでも、それがうまく組み合わされば、逆にゆるぎない強さになる、
みすず工業はいろんな背景をもった個性的な人が多いけれど、それを強みとできるのではないかと。
結婚式で号泣したその九州男児は、5年後10年後がとても楽しみな男であったが、いまは地元に帰っている。
つまり、石垣の大きさはそのまま城の大きさにつながるということを言いたかった。
だから、技術開発に対するビジョンをできるだけ大きく、途方もないくらいのスケールで、できっこない夢をまずは描いて欲しいことを伝えた。
それがみすず工業の石垣となる。
私はできるだけ大きな石垣を作る意義を伝え、その気になって頭抱えて考えるきっかけを作るだけ。
あとは児玉常務以下、技術開発の若い面々が苦労して実行すればよい。
日露戦争 総司令官の大山巌ではないが、
戦は児玉以下にすべて任せている、ただし負け戦のときだけは自分が指揮を執る
ということだ。(ちょっとカッコよすぎるが)