2010.01.19
マラソン日記 2Q10編
言い訳ではないが私は長距離が苦手だ。 歴史がそれを物語っている。
高校の野球部の冬の練習といえば、 「ロード」 が定番だった。
一年生の最初のロードで じゃ今日は「霊園」
と言われて、(納骨堂のむこうの)花岡霊園かよ、、トホホ
と思っていたら、浅川の長野市霊園だということがすぐに分かり、愕然としたことを覚えている。
わが母校は北高と言われていただけあって、長野市の北部、山の麓のような場所にあるので、ランニングをしようとするとそこはもう山なのである。
他にも、坂中峠、七曲というひたすら山道を駆け上った。
これが辛い。ものすごく辛い。 箱根駅伝の山上りのようなコースをひたすら走る(というより登る)
他の選手はついていけるのだが、私だけただ一人、あえぎながら登っていき、結局最後は集団から置いていかれるのが常だった。
坂の頂上でいったん休憩となるのだが、遅れてきた私が着くころには下りの 「レース」 が始まる。
今度は競争である。
そうすると、普段平地でのレースのときには普通の早さの人が、この時とばかり猛スピードで坂を駆け下りるスペシャリストがいた。
今思えばこういう人が箱根の山下りに向いているのだろうなと思うが、その人は今や大キノコ社長である。
日曜日、そんなことを思い出したので、久しぶりに 「ロード」 のコースを走った。
それも、山登りに比べれば楽で、そして高校生のひそかな楽しみであった、長野市内女子校めぐりコースを走った。
長野高をスタートしてまずは順調に下りを利用して
皐月高校へ
これは快調と思いきや次は思い切りの坂道を登り
清泉短大へ
ここで一気に足を使い、なおかつ急な下りやだらだらした上りをなんとか走り
長野西高へ
ここまでくればもうゴールは見える。下りの力を利用して
清泉女学院高へ
余裕があったので善光寺の本堂を一回りしてから、
長野県短期大学(けんたん)へ
よし、最後にもう一校、、、と走ってきてみたが、その高校がある場所にその高校はなかった。
おかしい、昔の記憶の場所に高校がない。。。この微妙な違いはなんなのだろうか。。
私は2010年ではない世界、「2Q10年」に迷い込んでしまったのだろうか。
それにしてもどこにいってしまったのであろうか、、、、
相ノ木通りにあったはずの長野女子高は。。。