2010.04.21
敗因(言い訳)
長野マラソン翌日から人間ドックに入り、一晩頭を冷やしてきたので、ようやく文章を書く気になってきた。
敗因を分析してみたい。
その1)調整失敗
明らかに調整を失敗、つまり疲労を残したままスタートしてしまい、脚は最初から重くてとても軽快に走るどころではなかった。
前々日の夜、向かい風で雪が降りつけるなか、無理して走ってフォームを崩すとともに低温により筋肉のダメージがあった。
にもかかわらず、マニュアル通り前日も走ってせっせと疲労を蓄積したのであった。
マラソン本のメニュー通りに練習を実行することにとらわれて、自分の脚としっかり向きあって、自分でメニューを考える事が出来なかった。
つまり創造性を欠く思考だった。
その2)練習の質
マラソンの練習はただ長い距離を走ればよいというわけではない。
ゆっくりと出来るだけ長い距離を走ったり、短めを早めに走る練習など、それぞれに意味がある。
それを長い距離をスピードを上げたり、短い距離を長く走ろうとしたりと、意味を考えない雑な練習になってしまった。
つまり、構想力を欠く思考だった。
その3)フィジカルな素質
やはり体質的にマラソンは向いていないと思う。
元来、20数年前からの貧血持ちだし、このところ立ちくらみもひどく脳貧血ではないかと思う。
レース中も頭の中がフラフラ(フワフワ)して物事が考えられない状態になっていた。
それにあれだけ走ったにも関わらず、本当の意味で筋肉がたくましくなっていないのが実感として分かる。
その4)当日の気分
レース当日は沿道の声援とアドレナリンの大量放出でペースアップ&維持
などと期待をしていたがそれは安易な期待だった。
当日が近付くにつれて、なぜか気分が高揚しなくて「プチうつ状態」でスタートしてしまった。
なので、苦しいときに歯を食いしばって 「ここで頑張ろう!」 などという考えに一度もならなかった。
原因は不明、、、強いて言えばレース前にすでに燃え尽きていた感じがする。
こんな状態ではいいタイムが出るわけがない。
調整失敗で脚は最初から重く、なんとかごまかして走ってはいたが、20km過ぎの五輪大橋のだらだらとした登りで脚を使い果たし、徐々にペースを落とし、ホワイトリングを過ぎた26km地点から失速し始めて、30km過ぎのふたこぶラクダを過ぎると大失速、
35km岩野橋から頑張ろうとしたが脳みそは全く機能しておらず、アドレナリンも全くないうつ状態でただただずるずると失速するのみ
ゴール前のQちゃんハイタッチ(みな喜んで寄って行くのだが)も避けて走りゴール。
また思いだしてしまった。
しかしこんなにも悔しい思いをしたのは今までないのではないか。高校野球の最後の試合でもこんなには悔しくなかった、、いや、一度だけ中学の陸上県大会で2位になったときも同様の悔しさがあった。あの時は賞状を破いて棄てようかと思った。
この悔しさは走って解消するしかない
ということで昨夜からまた走り始めた。
Qちゃんとハイタッチをしながらゴール出来るタイムは3・・・・