2011.03.23
長野マラソン中止
なにか、気持ちの中でスッキリするものがあるのはなぜだろう。
長野マラソン
予想はしていたもののやはり中止となってしまった。
でも、今回は当然のことと受け止めている。
逆に開催するとなるとそれだけの強い理由が思い当たらない。
セリーグのような訳のわからない理由をくっつけるなら、話は別だけど。
セリーグはおかしい。悪い意味で昭和の組織である。
特に巨人軍は 「球界の盟主」 という死語にしがみついているように思えてならない。
正直
自分の中でも 「燃えるもの」 が無くなってきているのを感じていた事もある。
まず東京マラソンを走って、あれだけ練習したのに納得のいく走りができなかったのでトレーニングの方向性を見いだせないでいたこと
そして、今回の大震災である。
震災後、走る事を再開してはみたものの、全然脚が動かない。
気持ちが全く乗らないからである。
自分のなかで、走る意味がほぼ無くなりかけている矢先の中止発表だった。
こんな気持ちで走らなければならなかった事を思うと、何か解放されたような気がするのである。
しかし、今回の大震災は日本人の心に相当な重荷を負わせることになるだろうな、と思う。