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2011.09.15

恩師を送る

朝7時に中学の同級生から電話が来た。内容は一つしかない、と出る前から解る。

 

誠に熱血漢な先生であった。、

今思えばめちゃくちゃなこともいッぱいあった。

太腿から下の脚が無くなったのかと思うほど何時間も正座させられたり、もちろん

ひっぱたかれたり、(私は人の顔色を注意深くみるつまらない「優等生」だった

のではたかれるのは免れたが)

また、テニス部の顧問での指導では、どの部活よりも長く、一日中ボールを打って

いる徹底ぶりで見事県大会を勝ち抜いたのであった。

(特に技術指導はしていなかったと思うが、あれだけ延々と打ち続けていれば

うまくなるものだなあと今では思う)

 

我々のクラスが最後の担任でその後は教頭、校長へと進んだ。

校長のなり手がいないほどの長野市内でも有数の荒れた中学校で、校長を引き

受けて修羅場をくぐってきたこともあったそうだ。

 

そんな先生だが、教え子の同級会には絶対に顔を出さないという一風変わった

ところもあった。

しょうがないからこちらから自宅に押し掛けたのが昨年の正月のことであった。

 

中学の卒業依頼30年ぶりに行きあったその姿はずいぶんと「小さく」なっている

ように見えた。

現役時代のあの熱血から引退した今、加齢もあるのかもしれないが静かに暮らし

ている姿をみて、なぜか切なかったのを覚えている。

 

いい時代だったなと思う。

いまとなっては、絶対に存在できないであろう個性的な先生が私たちの時代には

大勢いた。

めちゃくちゃなこともあったが、それは自分たちが悪いからであり、愛情をもって

生徒と接する姿は子どもながらに解ったものだ。

 

丸田良平

しかしよくおこられたなあ、、、なんであんなに怒られたのだろう。。。

でも本物の先生だった。