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2013.06.3

ZEROへの道程 ーみすず商会ー

林 襄 30歳にして二つの会社を倒産させる。

(夢に出てきて怒られそうだな)

 

債権者に頭を下げ続ける日々、日々、日々、、、

そんな時に変わった友人が現れた。

「このくらいの金、返済しても砂漠に水をまくようなものだから東京へでも言って威勢良く飲んでこいよ」

と、10万円を渡された。(現在の価値で40〜50万円?)

言葉通り、銀座で4万円近く飲んでしまった帰り道、

練馬で見かけたタクシーの中古車を見かけた父は、なぜか残りの金で購入、

翌日長野まで乗って帰ってピカピカに磨き販売したのが中古車販売の始まりだった。

サンレイ自動車商会     たしかこういう社名だった。

 

あるいは、自宅を麻雀荘に替えて営業をしながら、夜遅く麻雀客が帰った頃に、

父が仕入れてきた中古車が家に着くと家族みんなで磨き上げた。

 

母もパートや麻雀荘そして中古車磨き、と身重の身体を顧みず我武者羅に働いていたが、

あまりの過酷さに医者にはお腹の赤ちゃんは諦めてくださいと言われていたそうだ。

 

しかし、命運(いのちうん)の或るその子は生まれた。

(母からは、良くこの話しを聴かされ、命運の或る子だと言われた)

名を 宏道 と命名された。

 

しばらく、困窮は続く。

が、倒産して五年後の昭和43年の正月、我が家の食卓に餅がでた。

オヤジには内緒であったが(借金が少なくなるとすぐに事業を始めようとするので)

ほぼ借金を返し終わっていたのだ。

 

で、案の定残りの借金を返済して新会社を設立。

有限会社みすず商会 を立ち上げた。

創立メンバー5人の中には、あの男 西尾雄三もいた。

出雲の怪物スラッガーとして熊谷組に入り、野球部を引退後郷里の島根に居たところを

林襄に声をかけられてボストンバックひとつで長野に来たのだった。

以来、西尾雄三は生涯社長の片腕として人生を全うする事になる。

 

いよいよ 林襄 の快進撃が始まった?