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2014.02.1

ZEROへの道程 ー画家と指揮者 その1ー

子どもの頃

画家 か 指揮者

になりたかった。

なぜそうなのか?理由など考えた事もなかったが、自分の道程を整理する上で考えて

みたい。(みなさまには余計なことですが)

 

聖フランシスコ保育園でカトリックの「愛」に触れた林少年は、地元の城東小学校へ入学

2年生の5月には家が箱清水に引っ越したので城山小学校へ転校した。

理由は、もともと祖父が借りた借家の期限?かなにかで追い出しを食らったのだ。

 

で、今回も借家、善光寺の裏手の静かな住宅地であった。

以前の借家と比べて間取りも広いし庭もひろい。城の石垣のような基礎の上に建ち

庭には苔むした祠(ほこら)がある古い家だった。

 

この家では不吉な事が良く起こった。

当時祖母はボケているわけではなかったが、人の出入りの出来ない裏庭に、

人が立っているのをしばしば見かけていたという。

私もこの時分(小学生)、寝るのが怖かった。

しばしば強烈な金縛りに会ったからだ。

キーンと耳鳴りがはじまると全身がキューーっと固まり、そこまでは我慢できるが

そのうちに足の方から身体が浮き始める感覚が始まる。

やばい!と思い意識のなかで必死に身体を押さえ込む。

また、或る時は耳元でうなる様な声がする。良く聞いているとどうも僧侶が読経を

上げているようなうなり声だ。

目の前に、(目は開けていないのに)女の人の顔が覆い被さってきた事もあった。

 

この家に住んだ11年間のうちに、祖母が急死し、父は交通事故で肋骨を骨折

あまりにも不吉なので庭の祠はお払いして撤去してもらったほどだった。

 

話しをもとに戻すと、

指揮者、音楽が特別好きだったわけではなかったのだが、兄の影響で小学校2年から

ピアノを習い始めた。

6歳上の兄とは年の差や、性質の違い(兄はひと言で行って少女趣味っぽかった)

でほとんど遊んだ記憶が無い。

その代わりという訳ではないが、従兄弟が私の兄替わりだった。

兄よりもさらに2つ上、でなおかつオッサン顔であったので兄というより親代わりに

近かったのかもしれない。(当時から今まで、髪型も変わらなければかおの雰囲気も

変わっていない。いま思えば老けた高校生だったな)

とにかく、その従兄弟が家に来るのがうれしくてうれしくて、玄関に現れた時には

いつも飛びついていった記憶がある。

 

そんな大好きだった従兄弟の こーちゃん が今では我が社の営業マンである。

どの面下げて接すればよいのか、こまってしまう今日この頃である。

 

ということで、書き始めたら色々思い出しすぎて本題に至らず。

こうちゃん真 1

中学生にしてドカジャンを見事に着こなしているこうちゃんであった。