2014.03.3
ZEROへの道程 ー二足のわらじ その1ー
私が野球に出会った原初の記憶。
聖フランシスコ保育園の園庭で、母親にボールを投げてもらいプラスチックの
おもちゃのバットを振るが一向に当たらない。
ぎゃーぎゃーと泣きわめきながら母親を困らせた。
明治生まれの祖母は日常和服で過ごしていたが、無理を言ってグローブをつけてもらい
キャッチボールをせがんだ。
着物すがたのお婆ちゃんがグローブをはめて、林少年が投げたボールを
弾丸でも打ち込まれたかのごとく、おびえながら受け取る姿が目に焼き付いている。
(すまないことをしたなあ)
やがて、
近くのお寺の空き地でゴムボールの野球をやり、
学校の校庭で軟球で野球をやり、
だんだんと野球らしくなってきて、いよいよ硬球のリトルリーグ入団に至った。
当時、仲の良かったガキ大将水野君らと、大人気となっていた、硬式野球のチーム
長野ライオンズ に行くことになった。
小学校5年生の事である。
友達同士で初めてバスに乗って犀川の河川敷のグランドへ行ってみると、ものすごい
人だかりである。
我々が入団をする前は入団順に背番号がもらえたのだが、遂に3桁に突入してしまう
との理由で背番号がもらえなかった。
つまり、100人を越える大所帯だった。
硬球を使った非科学的で厳しい練習、気合いの入った試合、、、
林少年の野球人生の始まりであった。
まだ、一足のわらじだった。この時は。