2014.03.5
ZEROへの道程 ー二足のわらじ その3ー
中学時代の野球。(リトルリーグから中学の硬式野球リトルシニアリーグに上がった)
実はあまり思い出が無い。
一つ上の先輩たちはタレントぞろいで私が2年時に全国大会で準優勝、
我々のチームもそこそこ強くて、県大会ベスト4で敗退したものの
3、4位チームの全国選抜大会に出場、神宮球場でプレーする事ができた。
とはいっても、
地区大会まではセンターでレギュラーだった私は、選抜大会では控えにまわり、
最後に代走で出ただけで終わってしまった。
シーズンが重なる陸上の大会を優先していたので、野球優先の
選手にチャンスを与えるのは当然のことであった。
あと、中学では何をやっていたかというと
音楽の先生が異常に怖くて、何よりも音楽の授業に真剣に取り組んだり、
(音楽会では念願の指揮者になれた!)
担任の丸田先生も厳しい人で、ももから下の感覚が全く無くなるまで何時間も正座
させられたり、
やりたくもなんとも無かったのに勝手に推されて、生徒会長選挙に出馬、
決選投票までもつれて、敗れて副会長職に就いたり、
勉強もそれなりに真面目にやったつもりだ。
なぜならば、高校野球それも父も兄も通って、小さい頃から試合を見に行っていた
長野高校で野球をやりたかったからだ。
なので、高校入試は現在に至るまでの私の人生において、
最高に勉強をした期間であった。
出来る限りの努力を尽くして臨んだ高校受験だったが、、、
しでかしてしまった。
忘れもしない数学の試験。
(来月につづく)