2017.10.2
ZEROへの道程 ー始末書ー
イコールゼロの数ある書類のなかで、始末書を綴ったファイルの栄光の一枚目を飾るの
は林くんである。
入社後、みすず工業環境へ配属となり、家庭ゴミの回収業務を行った。
長野市内数千箇所のゴミステーション、何通りもある回収コースを元来方向音痴の
私が三ヶ月という限定期間で覚えられるわけもなく、終始助手として働いた。
大変だったのは 8月からのみすず工業勤務で業務部(現回収サービスGROUP)に
配属になりトラックの運転を始めたところから。
まず、初めて一人で行った松本への回収の出だし、長野市小市橋の下で左ミラーを
もぎ取られてから始まり、堤防道路での対面車両との接触、その他コツコツぶつけた
報告書が累積しての始末書第一号となった。
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十月十二日 私は何色
常務に怒られたからいうわけじゃないけど俺はだめなんだなあ、と思った。
一ヶ月に五回も報告書を書くというのは異例のことだ。また、考えてしまう。
なんでこの会社にいなきゃならないんだ。親父の会社を子供が継がなくちゃいけ
ないというのはおかしい。
自分の将来はどうなってしまうのだろう。
社長になるのだろうか。とうていなれっこない。なってもすぐ会社をつぶす。
それに何年持つかわからない、自分の神経が。
生まれてくるところまちがったな。でも親は自分で選べないんだなこれが。
もし、違う親のもとに生まれたならどれだけよかったか。金なんかいらないから
自由が欲しい。
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1990年10月12日 当時の日記 まま
ちょっと怒られただけで、すねている。
もっとも自覚しているように社長としての適性はないところは当たっているが。
社長どころか、社員としての役割も果たしていない、いや足を引っ張ってばかりいた。
24歳の秋