2018.04.2
ZEROへの道程 ーJCその2ー
JC(青年会議所)は日本国中、世界中に組織化されているが、とりわけ日本青年
会議所は熱い団体で、そんな熱い団体の活動の集大成が「全国会員大会」である。
(集大成=事業の成果発表+1年の総括+ご当地グルメ&大羽目外し宴会)
この大会は、なぜかオリンピックの開催地みたいな性格があり、長野JCも苦節
3年の立候補を経て、
1993年岡山大会
で開催が決まった。
(ままかりを食べたのとマスクメロンに高級ブランデーを注ぎ回し飲みしたのと
後楽園を散歩したのを覚えている。)
さて、それからが大変。
なにしろ全国各地から、わがままの代表みたいな中小企業のオヤジが1万人を超え
る規模でやって来るし、式典には常陸宮さまも御臨席されるという格式も高い大会
である。
長野大会は1996年ということだったが、私は運輸関係の担当で、長野への交通
手段、輸送能力、市内交通のシャトルバル運行計画、臨時駐車場場所の選定などな
ど、実に2年の歳月をかけて準備をすることになった。
大会期間中は2年もかけて準備をしていたにもかかわらず、想定外だらけでほぼ
寝る間もなく運輸体制維持に奔走し、最終日常陸宮様が御臨席される大会式典対策
はついに当日の朝までかかった。
(後にも先にも仕事?で徹夜したのはこのときだけ)
そしてやり遂げた。
大学卒業、南米インド放浪以来、ぽっかりと空いてしまっていた心の中に満たされる
何かを感じた。
こんなにも物事に集中して全精力をつぎ込んで取り組んだのは高校野球以来だった。
林宏道30歳
このときに自分のなかで一つの「芯」ができた。
代々開催地に引き継がれる「大会の鍵」
これを持てるのは開催地の青年会議所だけという誇りがあったなあ。