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2013.05.1

ZEROへの道程 ー事故ー

有限会社林工芸

実はこの会社、電電公社に在職中に立ち上げた会社である。

野球部を引退した父は、普通のサラリーマンとして働き始めた。

 

当時は(今も)社会人野球に時間を費やした後の職場復帰には困難が待ち受けている。

電電公社の場合もご多分にもれず、仕事についていけない状態であったが、そこは林襄

遅れを取り戻すべく通信教育で微分積分などを猛烈に勉強、自分なりの計算式を創りだすなどしたが、、、

林襄にサラリーマンが務まる訳がない。(人の指図など受けられる人ではない)

 

電電公社に兼業届けを提出、木の実を使ったアクセサリーを信州土産として作る

有限会社林工芸 を設立した。

軽井沢の売店にも品物を卸して、事業が軌道に乗り退社して、、、

であれば分かるのだが、苦労の割には赤字続きだったにも関わらず辞表を提出してしまった。

 

敢えて逆境に立ち向かって、困難な道を選ぶのが林襄である。

 

それが29歳の9月21日。

事故は翌日に起こった。

軽井沢への納品の帰り道、ダンプカーとの二重衝突。鎖骨と肋骨が5cm離れてるほどの衝撃。

ニュースの第一報は「死亡」だった。

電電公社の上司も病院に駆けつけ、意識が戻ると退職の処理をしていないから会社に戻るよう言ってくれたが、

一度決めた道だから、どんなことがあっても後悔しない

と言い切ってしまった。(またしても林襄らしい)

半年の入院、左腕は動かない

との宣告を50日で退院、左腕も普通に動くようにしてしまった。

(父の背中には左半分に大きく傷跡が残っていて事故のひどさを物語っていた。)

 

しかし、林工芸もひん死の状態。

そんな状態でありながらまたしても会社を興す。

株式会社信州

今度はみそを使ったせんべいの製造で、一時は売れたがこれも失敗。

 

林襄 30歳 二つの会社を倒産させてしまった。

残ったものは多額の借金ばかり。

 

林襄もここまでか、、、とは思わなかったらしい。