2017.11.2
ZEROへの道程 ー総務ー
平成2年 1990年
みすず工業での社会人としての門出。
まずは、みすず工業環境株式会社で長野市のゴミ収集車の助手をして
次はみすず工業で4tトラックに乗り、トラックの角という角をぶつけて
始末書第一号を書き、、などしているうちに、早2年が経ってしまった。
ドライバーとしての私は前述の通りで役立たずのまま次の職場
平成4年 1992年 4月
管理部総務課 へ配属となった。
------------------------------------
4月6日 電話きょうふ症
今日から会社で机の位置が変わった。いわゆる総務の位置だが、それにともなって
電話の応対しなくちゃいけないという恐怖心がおきている。
ベルが鳴るたびに非常にキンチョーした自分がよくわかった。今日も出なくちゃいけ
ないかなあという場面が二回くらいあったが、なんとかのがれた。
こんなこと大したことないのに、いやでいやでしょうがない。これこそストレスが
たまって胃がやられてしまいそうだ。
早く花屋へ行ってガジュマルを買いたい。
4月14日 何とは無しな仕事
総務というのは仕事をしているようでしていないようで、こんなことでいいのだ
ろうか、と思いつつ、のほほんとしている。
今日はやっと仕事らしい仕事をすることになった。給与明細表をつけるという単純
だがミスの許されない仕事だ。
いったいどのくらい総務をやるのだろうか。まあ二、三年やってもいいような気も
するしずーっと続けてもいい気もする。事務系で何が適しているかといえば、総務
になるのだろうなあ。
営業なんてもってのほかだし。かといって小池さんみたいなのも情けないしなあ。
職安で適性検査でも受けてみようかな。
----------------------------------
1992年当時の日記 まま
入社二年がたって、未だに電話に出るのさえ避けている全くやる気のない社員
であった。