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2008.11.17

ウチマン

スペイン狂詩曲、、、どこかで聞いたことのある曲名である。

長野市PTA連合会の第50回研究集会
そのアトラクションとして柳町中学の吹奏楽部が出演した。

演奏の練習を聞いていて、ああ自分が在校していた時にも柳中吹奏楽部はこの曲を演奏していたっけ、と思い出した。
顧問の遠藤先生が長髪を振りみだしながら 「演奏会モードになってない!!」 と厳しく指導をしているところを見ていたひとから 「厳しいねえ、あのくらいやらないと全国レベルにならないよね」 という声を聞いて、
(ウチマンはこんなもんじゃない)
と遠藤先生の風貌に似た、私がいたころのリューチュー吹奏楽部顧問の内田満先生を思い出していた。

何しろこれ以上大きな声が出ないくらいに怒鳴りまくる先生で、暴力こそ振るわなかったがいまでは問題になるくらいに怒鳴りまくっていた。
全国大会出場の壮行会での演奏では演奏中指揮をしながら怒鳴りまくる声 「バカヤロー何やってんだー!」 がその演奏の声より大きく響いていたのをよく覚えている。

そのウチマンがわがクラスの音楽の授業をやっていたからさあ大変。
すべての科目のなかで最も真剣に音楽の授業を受けた。
音楽室には机もイスもない、ピアノにはなぜか竹刀が立てかけてある、始業前には音楽室に行き腹筋をおこない、「ははっはーふふっふー」と発声練習をしておく、それからウチマンが登場して授業が始まる。

1年中歌を歌っていた記憶がある。音楽会の練習ともなると気合が入り時にはうたっている途中で譜面台を蹴り倒して出て行ってしまったりで、指揮者の私は困り果ててしまっていた。
そもそも1年のとき音楽会の練習をしていて「指揮者は林のような人間がいい」とウチマンがいったものだから2、3年時はクラス全員に押されて(押し付けられて)音楽界の指揮者になった。

吹奏楽部も我々の学年までは全国大会銀賞が続いていて悔し涙を流していたが、翌年には念願の金賞を受賞しばらくは金賞が続いたと記憶しているが、卒業後26年が経つ今でも全国レベルを保っているのは内田先生の力によるところも大きいのではないかと思う。

あれだけ溢れんばかりの情熱をもって生徒に向き合っていると思いもよらない力を発揮することができるのだと、改めてすごい先生だったなと思い返した。
当時30前半だっただろうからもう定年を迎えることだろうが、思い出深い先生だった。

今となっては現れないタイプの先生だろう。