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2013.07.19

ZEROへの道程 ーくせー

私の母には変なクセがある。

自宅以外のトイレに入れないのである。

宿泊などどうしようもない時だけトイレを使うのだが、

それも、とびきりにキレイなトイレのみ。

 

昭和43年1月19日 みすず商会 設立

会社といっても、自宅の一室にゴミ捨て場から拾ってきた机を置いて事務所とし、

あとは中古のトラック2台があるのみ。

 

当時の夏目長野市長が、長野中学野球部の先輩という事もあり声を掛けていただき

仕事をする事ができた。(これも野球部の縁)

 

その仕事というのが、市内27カ所の公衆便所の清掃業務だった。

母親も当然その仕事を手伝う事になる。

今の衛生観念とは隔絶の違いのある、当時の便所掃除を想像するだけで

どれだけ過酷であったであろうかがわかる。

そんな経験が母親のクセ トラウマ となったのである。

 

EQUAL ZERO(みすず工業)のルーツは便所掃除にある。

そのことを忘れないためにも、毎朝の事務所のトイレ掃除は私の日課だ。

 

その他の仕事も、病院の汚物

(昔は切除手術後の人体の一部など普通にごみとして扱っていた)

魚屋の臓物など、

おそらく誰もやりたがらないので、長野市が引き受けた仕事で、それを民間委託

したのであろう。

そして、家庭ゴミの収集も民間委託されるようになった。

 

これが、

それまで市町村が行っていたゴミ収集の業務を全国に魁けて民間委託した事例となり、

現在まで続く事業となっている。

 

決しておいしい仕事とは言えない、むしろ過酷な労働を強いられる みすず商会の

スタートであった。

 

そして1年がすぎ

春が巡って来るころ、もうひとつの出会いが。

 

種田吉富 都市対抗野球 久慈賞受賞者

ノンプロ界の名門 カネボウ の名選手であった。