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2013.08.1

ZEROへの道程 ー快進撃ー

カネボウ の種田

といえばノンプロ(社会人野球)の世界では知らない人のいない名選手であった。

 

昭和43年

長野市から委託される公衆便所の清掃とゴミ回収業務でスタートした みすず商会

その他にも民間のビル・工場の清掃業務も請け負いながら一家総出で会社をまわして、

1年がたったころ。

 

カネボウ長野工場で出会ったのが、事務長 種田さんであった。

 

野球の仲間というのはありがたい。

何かにつけて、カネボウ長野工場の清掃業務を頂いていたところ、

そのうち、「本社が下請け工場を作りたがっている」というビックな情報を

教えて頂く事になる。

当時、繊維産業は落ち目だとはいうものの、天下のカネボウの仕事ということで、

経験も何もない素人ながら、「私がやります!!」と強引に頼み込んで見事に

カネボウ 長野工場と丸子工場の工作部門の下請け工場となる事が出来た。

(オヤジの性格上、かなり押したことは間違いない)

 

 

続いてのチャンス。

長野市近隣の小川村が、過疎化対策として工場を誘致しはじめた。

しかも金がないみすず商会にはありがたい債務保証付きで。

これに飛びつき、小川村に綿紡糸工場設立に奔走した。

だが、小川村の人たちは田んぼや畑など、自分たちの仕事をもっているところに

みすず商会 という聞いた事も無い会社からの誘いになかなか人は集まらず、、、

昭和45年、わずか17名での小川工場設立となった。

 

これでは折角のカネボウ生産チームとしての名がすたる。

社員総出で小川村のお宅を一軒ずつ訪問してお願いに上がり、徐々に社員を増やしていき

昭和46年

小川第2工場(絹紡加工)を設立、

社員も100人を越えるところとなった。

 

この年、社名を 株式会社みすず工業 に変更

みすず工業 快進撃の始まりであった。