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2013.12.5

ZEROへの道程 ー執筆秘話ー

今年1月4日

EQUAL ZERO のスタートにあたり、何を書こうか、、、

と考えたところ

「高崎の総合病院の嫡男として生まれた祖父はだらしのない男だった」

という文章が頭に浮かんだ。

 

なぜそんな事を知っていたかというと、父から事細かく聞いていた訳ではなく

(父とは会話らしい会話をしなかったので、、拒絶していたわけではなかったが)

父のことを書いた「人物伝」みたいな「私の歩いた道20人集」「信濃人物誌」

などの書物と、

日頃肌身離さず持ち歩いていた手帳などがネタもとであった。

しょだな

林家の人は文章を書く事が好きなのである。

兄の職業は「著述業」つまり格好よく言うとジャーナリストだし、

私もご覧の通り、ブログを書くのが好きである。

そんなDNAはやはり父から引き継いだのであろう。

 

父の手帳

創業間もない昭和44年3月から、平成13年まで

スケジュール、思いついた事、やらなければならない事、自分への叱咤激励

借金の貸し借り、創作した俳句、電話番号、歌の歌詞 などなど

林襄の考えていた全てがその手帳に詰まっている。

 

これらを紐解きながら、父の生い立ちから青春時代、起業から挫折までを

書いてきた。

その軌跡は決して褒められるものではない、というか最後には会社を手放してしまう

ので、現会社の印象が悪くなりかねないとは思いつつも、それでも書いてしまった。

 

志半ばで死んでいった伯父 林 新

そして、父 林 襄 をもう一度世の中に出したいとの思いだった。

写真と日記帳(やはり筆まめ)でしか知らない 林 新 は精神に筋金の入ったような

高潔な人という印象で、生きていたらどれだけの事を成し遂げたかとつい思ってしまう。

林 襄は、、、

すごい人だった。

林 襄 のその後は、第三部にて執筆したいと思っている。

 

それでは第二部は何かというと。。。