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2014.06.4

伯母の一生

先日伯母を送った。

 

生粋の江戸っ子だったので、最初から最後まで私は

シロちゃん

と呼ばれていた。

 

祖父の絵描きの素質を受け継いだ伯父とは、絵画が取り持った縁だった。

柳町の、当時でさえ子ども心にも狭く古しいアパートには

伯母さんが描いた秋刀魚の絵が飾られていた。

 

伯母さんは

無駄遣いを一切しないひと、平たく言うとケチな人というのが子どもの頃の

印象であった。

 

女手一つで、ごつい息子と、娘、二人を育て上げた伯母

アクセサリーの販売を行い生計を立てていた。

 

それほど高価ではないアクセサリーを必死で売り込み、

わずかな月賦の集金に、雨の日も風の日も、車道などものともせず自転車をたくましく

漕いで、長野市中を走り回っていた。

(何度、道路で伯母さんを轢きそうになった事か。)

 

まさに、汗水たらして働いたそのお金で、

遂には一戸建ての家を建てた。

それでも、贅沢はしない。

相変わらず、集金に、セールスに長野市中を自転車で走り回る伯母であった。

 

やがて、自転車に乗れなくなり、アクセサリーの仕事も終わり、

畑仕事に精を出すようになる。

 

お彼岸やお盆には我が家を訪れ、お墓参りに行って、おはぎを食べながら

大きな声で世間話をする

そんな何でも無い日常を淡々と繰り返していたのだが、

遂に病に倒れた。

 

本人は、まだあちらの世界に行く気などさらさら無かったに違いない。

だが、

十分やりきった人生だったのではないか。

伯母さんの人生を振り返ってみるとそんな気がする。

 

林 千枝子

働き者だった。