2025.05.9
24年
父、先代社長が死んで今日で24年になる
以前のように命日近くなっても夢の舞台に父が登場することはなかった
この日は私の人生の定点観測の日でもある
最近考えている「死ぬ予定日」からすると、父は67歳で死んでいるのだから
あと8年で到達してしまう
(さすがにそこを予定日とするわけにはいかない)
あと8年で死ぬ運命とは知らず、59歳の父は何をしていたのだろう、、、、
会社設立から欠かさず書いていた「手帳」を何年かぶりにひっぱり出してみた
平成4年1月 着実に一歩前進
◎最終処分場は社長の責任 全力投球する
思い出した
当時は事業が軌道に乗らず、起死回生を狙った大事業であったはずで、
父もまさに全力投球で取り組んでいたのだ。
私もすでに入社していたが、まだ下っぱで内情は詳しくは知らなかった。
改めて手帳をみるとかなり難航していて、ハードな交渉を延々としていたこと
がみて取れた。(結局断念することになった)
その後も「汚泥減量化プラント」や「工場団地への移転」など起死回生策を
進めてみたものの実現することなく、がんの宣告を受け人生を卒業した。
苦労の割に成果に乏しい結果となったが本人はどう思っていたのだろう
もっとも種まきはしっかりとしてもらっていたので、私の代になりいくらかは
花が開いたことになるのだが。
死ぬ日を決めるまでもなく、社長を引退する日は迫ってくる。
最後に何をすべきか
そういう段階に突入している
手帳に染みついたタバコのヤニの残り香がやけに懐かしかった