2011.11.17
自分の事は
カミサンの父を送った。
私は商売柄普通の人よりも、多くの人を送ってきている。
そう、商売柄なので会社関係、経済界関係の告別式になると次から次へと参列者が訪れて、
列をなして焼香をしていく。
そんな盛大な告別式が多い。
だが個人の告別式に眼を向けるとそうでもないことが良くわかる。
社員だとか私の親戚の告別式はごく静かなものだ。
カミサンの父の告別式は静かだった。
小さな会社を経営はしていたが、引退して永い時間が経っていたし、引退してからはあまり家から出歩くこともなく、
何か趣味がある訳でもなく、静かに余生を過ごしていたようである。
頑固な医者嫌いで、いつも奥さんを困らせていたが、今年の夏にどうしようも無くて入院した時にはもういつ逝ってもおかしくない状態になっていた。
が、それでも家に帰る。。の一点張りで帰ってきてしまった。
喪主のカミサンの弟の話では、人の世話になることが大嫌いだったようだ。
自分のことは自分でする。
子どもの世話にはならない。
この口癖を実践して静かに旅立ってしまった。
前の晩、いつものように奥さんに小言を言いつつ床に着き、朝にはもう居なくなってしまった。
目標とか、成長とか、チャレンジとか、、、
欲の 「るつぼ」 のような世界に生きている私とは全く別の世界に生きている人だった。
近藤博
あらゆる欲がなく、そして誰の世話にもならず、おそらくこの世に何も思い残すことがない人生だったであろう。
それに比べると私はいったいどれだけの悔いを残してこの世を去ることだろう、、今から思いやられる。
だけどお父さん、、、もう少し子どもの世話になってもよかったのに。。。