2012.09.28
+と−
福島原発由来の「指定廃棄物」の最終処分場候補地が茨城県高萩市に決まった。
市長が言うように、全くの「寝耳に水」だったのであろう。
市民も冗談じゃない!と声を荒げている事であろう。
これは何も茨城の人に限った事ではなく、日本国中どこでも起きる当然の反応だと思う。
では、セシウムが基準以上に検出された焼却灰をどうすれば良いのか?
答えは分かりきっている。考え得る最良の手段をもって、どこかに埋め立てるということ。
現代の快適で便利な暮らしは産業の発展イコール電力のスムーズな供給のもとに成り立っていたといっても過言ではない。
で、日本国は誰が悪いのかはおいておくとして、過ちを犯してしまった。
犯してしまった以上、罪は償わなければならない。(子どもたちの代に先送りはしたくない)
つまり、いいことばかりを享受して、都合の悪い事は受け入れないという訳には行かないと私は思う。
自分たちの蒔いた種なのだから。
快適な生活は享受したいが、ゴミは受け入れられない、
尖閣諸島は日本の領土だが、中国との経済関係は悪化したくない
(経済成長をして快適な生活を享受したい)
では何も解決しないのである。
良い事ばかりではなく、悪い事、痛みも受け入れる覚悟が無ければ日本は本当に終わってしまう。
欲しがりません勝つまでは
臥薪嘗胆
といった言葉はどこに消えたのであろうか。
戦時体制が良いというつもりは毛頭ないが、日本人の覚悟としては見習うべきものがある。
しかし、「日本人の気質の変化」というところに問題可決の根っこがあるとすれば、それはそれで厄介な問題である。
時間がかかりそうな問題だ。
(高萩市に対し、受け入れ拒否はけしからん、と言っている訳ではありません。)