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2013.02.1

ZEROへの道程 ー戦病死ー

(ZEROへの道程ー廃嫡ーからつづく)

満州から北京、大陸で夢を追い、夢を実現した祖父であったが、戦争がすべてを変えてしまった。

戦後、プライドが高く正義感に満ちていた祖父はボロボロになって帰国を果たした。

 

そこで、一念発起ゼロからの出発、、というのが一家の主たるものの在り方なのだろうが、

こともあろうに祖父は、「好きな絵を描いて暮らしていく」と宣言してしまった。

つまり「オレは働かないで好きなことやる」宣言である。

 

祖父は誠にだらしのない男である。

この時点で父 林 襄 は一生自分の父を許さないと誓った。(ので林家の墓にも入れなかった。祖父の体は京都大学医学部に献体され、後々残された遺灰は父が亡くなった後ようやく戸隠の山に撒かれた。)

 

林家には期待の星がいた。

長男の 林 新(あらた)

私の父とは10歳違いで、新兄には父のようによく面倒を見てもらったようである。

この林 新、戦争前から祖父を満州に残して帰国した家族のまさに大黒柱であった。

文武両道の模範生だった新はやがて陸軍士官学校へと進む。

いまでも家に残る軍隊手帳や手紙の筆跡や文章を読んでも、とても二十歳そこそこの若者が書いたとは思えない、立派な人であった事は間違いない。

 

陸軍士官学校を卒業し陸軍少尉として任官した矢先、事故は起きた。

乗馬訓練中に落馬、そのまま長期の入院を強いられることとなった。

脊椎カリエス

当時は不治の病、

昭和20年終戦直前の戦病死 享年23歳であった。

 

後年、父は口癖のように言っていた。

兄(新)が生きていたならばオレは会社など起こしていなかっただろうと。

 

つづく