2013.09.2
ZEROへの道程 ー拡大ー
爆発するエネルギー 7年で60倍
昭和49年当時の、会社案内の見出しである。
カネボウ生産チームとしての、小川村の二つの工場もようやく人が集まり、
長野市のゴミ収集の仕事も順調であった。
こうなってくると、元来事業をやりたがりの父の勢いは加速するばかりである。
(暴走といってよいだろう、誰も止められる人はいなかった)
そして「アメーバー作戦」をぶち上げ、次なる展開へとつき進む。
まずは、東京支社を設立、英会話学院の「アメリカンスタジオ」を買収した。
(この話しは父からなにも話さなかったのでどういう経緯だったのかはわからない)
そして、昭和49年新会社を設立 日本で初めてTSSサービスを展開する事となる。
TSS タイム シェアリング サービス
当時出始めのコンピューターに目を付けて、企業の会計などの業務を請け負う
ソフトウエアの開発会社を立ち上げた。
社名を 株式会日本システム技研 という。
気がつけば、みすず工業グループの全容は以下の通りとなっていた。
株式会社みすず工業 (環境衛生部、カネボウ事業部(小川工場、丸子工作部))
株式会社みすず工業東京 (アメリカンスタジオ、パーキングゲート設置、システム開発部)
株式会社日本システム技研
株式会社ニチエイ資源 (資源回収)
株式会社サン食品 (カネボウ食品販売)
株式会社セイフティーサービス (損害保険代理店)
昭和49年には、平屋と田んぼの広がるのどかな長野市川中島に、
偉容をほこる鉄筋コンクリート4階建の新社屋を建設。
社員数は270名に増えていた。
まさに、爆発するエネルギーだ。
しかし、勢いはまだ止まらない。
おまけ
当時みすず工業が鳴り物入りで売り出していた ダイアモンドガン
その広告の写真。
カメラマンに「笑って」といわれ笑えなかった事を記憶している。
当時から笑顔が苦手な林くんであった。