2014.04.24
敗因 2014
それでは敗因は何だったのだろう。
なぜ、こんなに走れないのだろう。
それも、だんだんと遅くなってきている。
理由など追求しなくても良い様な気もするけれど、それではブログにならないので
敢えて敗因を探し出すと、、、
やはり オーバートレーニング症候群 であると思う。
そうすると、永年の不調の理由が分かる気がするから。
では、いつ林君はこの病気にかかったのか。
2010年 4月 初長野マラソン 4時間6分34秒
これは単にオーバートレーニング。症候群つまり病気には至っていなかった。
この時点でマラソンで負ける「悔しさ」に目覚めて各種レースに出場
身体の各箇所を痛める。(足裏、膝の内、下、外側、脚の付け根、腰、乳首)
が治ったのでこれは問題ではない。
2010年 12月 長野マラソンに備えて猛烈なトレーニングを始める。
2011年 1月 サーティーサーティーなる練習(土日連続30km走)で走力が
上がってきた。(と同時に疲労も蓄積)
そして 2011年 2月 東京マラソン 4時間3分58秒
じつは、ここが病気の発症だったと思う。
レース前の過酷な練習、そしてあくまでも長野マラソンが本番ということで、
1週間前に サーティートウエンティー(30km20km走)にした程度で、
参加。それもいい気になって全力で走りきった。
いま、考えてみれば、このとき以降、東京マラソン前のスピードで走る事が
出来なくなっていたのである。
2012年 長野マラソン 4時間7分37秒
これはペースメーカのおかげ。でも脚は最後はついていかなかった。
2013年 長野マラソン 4時間12分10秒
2014年 長野マラソン 4時間28分42秒
この2回、完全にオーバートレーニング症候群である。
走り終わってみて、感じるのは脚が残っているということ。
普通に30km走をやったくらいしか脚に疲労が残っていない。
つまり、頭が「走れ」と命令していないか、脚が命令を聞いていないか
実際の脚の疲労度、限界のはるか手前で身体にブレーキが働いてしまっている。
とりあえず、長期に休むしかない。
マラソンを続けるか??
いまの気持ちは、ハーフハーフ(浅田真央風)
このくらいオチャラケられたら、楽なのになあ。