2014.09.1
ZEROへの道程 ーWとMー
高校野球が終わるや否や、向かったのは洋服屋であった。
なにしろ、ユニフォーム以外で着るものと言えば学生服しかなかったからだ。
今も営業しているSBC通りの小さな洋服屋へ行き、ウオッシュ加工した黒の
ジーパンと、薄ピンクのチェックのシャツを購入
お気に入りであった。
そして、毎日のきつい練習から解放されたうきうき気分で後輩の 夏 連 に行ったり、
一応甲子園まであと二歩の所まで行ったので、中学の同級生の女子から連絡があったり、
長野西高の女子にサイン(しかも2人から!)を求められたり、、
と生涯一番モテた瞬間でもあり、と青春を謳歌していた。
だが、なにも考えていなかった訳ではない。
どこの大学に行くか、、、
三年生になった当初の進路希望調査では、深く考えず
慶応義塾大学 商学部
と書き、担任の本山先生に鼻で笑われたが(全く勉強してなかったので当たり前)
さて、そろそろ本気で考えなければならない。
理由のひとつに、野球部のセレクションがあった。
当時、主要な大学の野球部は8月後半に高校生のセレクションを行い
有能な選手を選別(セレクト)するというのがあった。
私の考えでは
野球といえば東京六大学、そして父の名前の由来となった、同志社大学あたりであった。
そこから消去法で
同志社大学 試験に 数学 があり断念
東京大学 無理
明治大学 練習がキツそうなのでいや
とその三校はまず除外して、考えた末、早稲田大学を志望することとした。
早稲田大学野球部のOBの、長野高校の先輩のツテで、段取りをしてもらって準備を
進めた。
さあ、つぎは東京六大学。
エンジの WASEDA のユニフォームで「紺碧の空」で応援をされ、
角帽をかぶり高田馬場を闊歩する(いまはないなあ)のかあ、、、
などと入学もしていないのに妄想だけは勝手にふくらみ始めた。
そして、早稲田大学のセレクションに向かおうとしていた、その前夜。。。