2020.03.12
センバツ中止
やはり、という感想だがセンバツ甲子園が中止になった。
「べき論」からすると当然。(私が言うまでもなく)
林君は林君の視点で情緒的なことを言う。
中止の報を聞いた選手たち、さぞかし悔しかっただろうなあ。
甲子園をめざす選手たちは、「単なる高校での部活」ではない。
物ゴコロ着いた時から、お父さんとキャッキボールを初めて、おもちゃの
プラスチックバットでゴムボールを打つ。
いつしか遊びだった野球ごっこに夢中になり少年野球に入り、他の子供とは
違う才能を発揮し、リトルリーグや中学の硬式クラブチームに進み、
明確に甲子園を目指すようになる。
今までチームの主力、地域でも知られた選手が強豪高校に行くと実力は横一線、
過酷な練習に過酷な競争が始まる。
1本のヒットでレギュラーへの道が拓け、一つのエラーで選手が入れ替わる、
最後の1日までしのぎを削りベンチ入りをして、さてそこからが試合だ、、、。
この辺りをよーく見てきただけに、
「他の競技とは掛けている気持ちの度合いが違う」
のである。(独りよがりだがそう思う)
かっこつけて言うと、甲子園は春の音である。
過去3回もブログで取り上げた(2009、2015、2016)
AMラヂオから聞こえてくる、銀傘にこだまする優しいアナウンスの声、
ブラスバンドのコンバットマーチ、、
ああ、春がきたなあと思い、なんだか元気が湧いてくる。
高校野球それも甲子園はやはり、高校体育だとかスポーツの枠を超えた、
なんというか、日本をカタチ作る要素の一つ、日本らしらの一つなのだと思う。
それだけに中止は残念だ。
でもそんな情緒的なことは通用しない世の中になってきているのも事実。
日本も着々と姿を変えつつある、と感じる。