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2014.01.4

ZEROへの道程 ー誕生ー

格好つけるこどもであった。

 

だらしのない祖父がアルピニストとして放浪の末、腰を落ち着けた長野市。

その地で父は起業し、倒産し、再起をし、一家総出で猛烈に働いていた、

そんな時に私は母のお腹の中にいた。

一日中動いている母に、医者は「お腹の赤ちゃんは諦めてください」と告げていた。

 

が、生まれた。

名を 宏道 という。

広い道を堂々と行く人間になれ の思いを込めた命名であった。

なので、母は事あるごとに、「命運(いのちうん)のあるこども」と言っていた。

(代表的な例として、後年私が南米大陸で行方不明騒動を起こしたとき、

そう信じて私の帰りを待っていたのだった)

 

だが、私は私のことを 格好つけるこども だと思っていた。

 

近所の 聖フランシスコ保育園 に通っていたころの苦い思い出。

参観日、プール遊びだった。

先生の合図とともに、ワーワーとプールに入り、ひたすらはしゃいで遊ぶ

それだけである。

しかし、林君は何を思ったかプールになかなか入る事ができない。

こどもらしく、無邪気に遊べば良いだけのところ、

どんな事をすれば良いのだろう、、、どう見られているのだろう、、、

考えているうちにプールの時間は終わってしまった。

 

そんな些細な記憶のかけらなのに、大人となった今でも

一歩踏み出せない自分を反省するたびに、その光景を思い出す。

 

保育園といえばもうひとつ、忘れ得ない人との出会いがあった。

園長先生のアベル・ムルマン神父

オランダかベルギーかどこかそこら辺りから、おそらくは布教の為に日本に来て

いたのだろう、いつも穏やかな表情をした人だった。

卒園式の時、別れを惜しんで園長先生に抱きついたとき、何を言われたわけでも

ないのに、その懐の深さ、やさしさを感じて、思わず泣いたことを覚えている。

いま思えば、アベル・ムルマン先生から、大きな愛情をもらった瞬間だった。

 

あんなに大きな愛情をもらったのに、

いま、大人となった私は、果たして人に愛情をもって接しているだろうか。

林 宏道 は、いままで何をして、何を思ってきたのだろうか、、、

 

ZEROへの道程 第二部

その辺りの検証をしていくこととする。