2013.07.1
ZEROへの道程 あらすじ
ZEROへの道程 前回までのあらすじ
高崎の総合病院の嫡男として生まれた私の祖父は、
だらしのない男であった。
自分の好きな道(登山と絵)を選び、中国大陸で順風満帆な生活を送っていたのだが
戦争がすべてを変えてしまった。
戦後中国から日本へと帰国した祖父は、事もあろうに働く事を拒否。
これからは「好きな絵を描いて暮らしていく」ことを決め込んでしまった。
頼みの綱であった長男 新(あらた)は陸軍士官学校を出て陸軍少尉として任官、
しかし乗馬訓練中の怪我で終戦の2ヶ月前に病死してしまった。
戦後林家の生活は凄惨なものであった。
働かないで絵ばかり描いている祖父に変わって祖母と長女の稼ぎで生活した。
そしてまだ幼い父 林 襄 もアイスキャンデー売りで家計を助ける。
病気で学校も休みがちだった父はやがで、無理と言われていた地元の最難関校
長野中学への入学を果たす。
入部したのは文芸部、しかし何を思ったか野球部の門を叩く事になる。
後の 林 襄 の人生を変える運命の分かれ道であった。
お世辞にも野球がうまくなかった父だが、高校卒業後、なぜかノンプロの
最強豪チーム 熊谷組に入社。
そこで 出雲からきた西尾雄三、鐘紡の種田吉富との出会いがあった。
最後は長野に帰り電電信越で野球選手を引退するが、
林 襄にサラリーマンが務まる訳が無い。(ご存知の通り)
電電公社在職中に、有限会社林工芸を立ち上げ、
軌道に乗っていた訳でもないのに退職、
独立した翌日にひん死の大事故に遭遇してしまう。
今ならば、退職処理をしていないという、元上司の言葉もあったが、
これは自分の決めた道
とそのまま独立。
後に株式会社信州も設立するが、両社とも敢えなく倒産の憂き目にあってしまった。
林 襄 30歳にして二つの会社を倒産させる。
債権者に頭を下げ続ける日々、
ある変わった債権者から金をもらい銀座で飲んだ翌日、
余った金で中古車を買い、のって帰ったその車の販売から中古車の売買を始める。
そして数年が経ち借金もほぼゼロになったところで
また新たに会社を設立
みすず商会の誕生であった。
さて、林襄は奇跡の復活を果たしたあとみすず商会をどう切り盛りしていったのか、
そこには更なる栄光と挫折の日々が、、、
そして、私、林宏道はどのような道を辿り始めるのか、、、
今年後半の ZEROへの道程
乞うご期待。