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2019.01.16

あの日に帰りたい

♪泣きながらーちぎーった写真をー 手のひらにーつなげーてみるーのー♪

 

今の経験やメンタルをもって、あの時に戻れたら、俺たち優勝してたなー

と誰かが言った。

その通り。

 

明治大学野球部を卒業して30年になる。

あれから30年がたち、我々は、どこをどう歩いてきたのだろうか。

長崎のふぐ養殖王になったり、都市銀行で堅実に働いたり、海外駐在員になったり、

悪徳不動産王になったり、アーチストな土建屋さんになったり、雇われの身の

煮え切らない社長になったり、十人十色である。

ことのほか、皆立派になっていたのに正直おどろいた。

 

集まりには当時の助監督とコーチも駆けつけてきてくれた。

助監督はことし80歳を迎えるというが、酒は飲むはよく喋るわで元気満々だ。

(引き算してみて当時助監督が50歳だったことに驚いたが)

パワハラ、体罰禁止などという日本語がなかった当時、随分と理不尽な思いとか

余計な苦労をしたような気がする。

でも、30年も経って同じ目線で酒を飲んでみると、そんな思いは記憶の彼方に

追いやられているのがよくわかる。

 

思い出話が出るたびに、自分のことも振り返ってみたが、どこをどう切り取っても

心残りの4年間であった。

一言でいってしまうと、煮え切らなかったな、と。

 

あれから30年がたち、どこをどう歩いてきただろう、、、

思い返すと、煮え切らない人生をあゆんできたような気がする。

(三つ子の魂というやつ。)

煮え切らない自分は好きではないが、それも受け入れなければ仕方がないだろうし、

煮え切らないなりに、なんとか今までやってこられた自負も少しだけある。

 

だが、あえて、あの日に戻ってやり直せるとしたら。。。

どうやったら、リーグ戦のベンチ入りして、あわよくば一度だけでも試合に出られた

であろうか。

うーーーん  思いつかない。

 

やっぱりだめか。

 

♪青春のー 後ろ姿をー 人はみなー 忘れてしまうー あの頃のー

私にー戻ってー あーなーたーにー あーいたいー♪


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2019.01.15

ラグビー大学選手権

♪白雲なーびくー  駿河台ー 眉秀でたるー 若人がー♪

普段はうんともすんとも言わない林くんが、人目も憚らず声高らかに校歌を歌い

上げたここは、秩父宮ラグビー場。

 

そう、22年ぶりの大学選手権優勝をかけた決勝戦である。

明治のラグビーを見るのは、現役学生時以来30年以上ぶり、1年生の時に

国立競技場に徹夜で泊まり込み野球部の席取りをして以来である。

 

相手は帝京大学の10連覇を阻んだ関西ナンバーワンの天理大学。

開始早々トライを取られて、これは負けだな、と得意のマイナス思考全開だったが、

すぐさまトライを取り返してあとは徐々にリードを広げたが、残り10分で追い上

げられた。

そして最後のワンプレー、ここでトライを取られたら同点、、でなんとかこらえて

ノーサイド。

 

いやあ、しびれた。

トライをとるたびに雄叫びをあげて、最後の最後までハラハラドキドキもので

ノーサイドの瞬間にも雄叫びだ。

(おかげで喉がいたい)

明治優勝

しかし、ラグビーって、学生スポーツっていいなあ。

ひさしぶりに燃えるものにであった気がする。


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2019.01.11

続・さがし物

♪探し物はなんですか〜 (中略) うふっふ〜 ♪

 

ということで、数 珠 に続いてまた物を無くした。

元旦からマラソン練習を始めて、道具を引っ張り出した。

帽子、手袋、ネックウォーマー、アンダーシャツ、ジャンパー、アンダータイツ、

アンダーシャカシャカ、

そしてサングラス。

 

サングラスがない。無くしたことさえ気づかなかった。

最後に使ったのが小布施見にマラソンだから、その時どこで何をしていたかの

記憶がすでにないので探しようもない。

でも、どこかで何かをすると、また突然出てくるかもしれない。

そうしたら、この記憶の欠落度合いは深刻なレベルだ。

老いていくなあ。

 

52歳の小目標その4 進捗率 20分の5 のこり21日で15回走る


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2019.01.9

52歳の小目標 その4

52歳

小さな目標を達成して、小さな幸せを手にいれるの、その4

 

正月、マラソンシーズンの幕開けである。

毎年元旦からマラソン練習をスタートしているので今年もそうした。

元旦、ニューイヤー実業団駅伝をみて走る

2日、箱根をみて走る

まではよかったが、以降はさぼってしまった。

 

これではいけない。

1月中に本格的に練習できる脚をつくっておかなければならない。

まずは走る回数を確保することとして

 

52歳の小目標 その4

1月の走行回数 20回を達成する

 

1月8日の時点で4回走

まずはここからスタートだ。


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2019.01.4

ZEROへの道程 ー回復ー

(ZEROへの道程 EPISODE5 闘病)

 

ガンの動きは予測不能である。

平成12年10月 入院 余命3ヶ月

11月 国立がんセンターへ転院

抗がん剤投与も効果なし

12月 長野市民病院へ転院

平成13年1月 第4回目の抗がん剤投与(これで効かなかったら最後)

そして

2月 効かないと思っていた抗がん剤が突然効き始めた。

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平成13年2月14日

夕方の先生の説明は俺と竹元、小林で聞いた。宏道には別の日に先生が直接説明

してくれるとのこと。

 

1 10/24入院時、全くの手遅れの状況で完治、又は生き残りの可能性5〜1%と

いう状況だった。

2 2/8のCTの結果との比較

全く別人のごとく効果が出ている。約5分の1に縮小、しかし決して消えている

訳ではない。

3 今後はまず基礎体力の回復に努める(リハビリを含めて)風邪に注意。

4 週一回程度の検診、治療

5 1ヶ月程度の割合でガンの転移チェックを各機能ごとに行う。

6 平常生活者としての復活は当面無理と考えるが、年に数回程度の会合、公式

会議程度ならば、その時点の体調チェックが基本であるが出席は可能でしょう。

 

不思議、不思議、奇跡、

 

専門の先生の意見からも、と、言わざるを得ないらしい。

俺になにがあるのか、また生命が与えられそうだ。

どのくらいの命が、どのようにあるのか、心の準備が足りない、気負うのはやめよう。

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林 襄の日記まま

 

あとは退院前に、念の為検査を行うのみとなった。

その時だった。


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2018.12.27

さがし物

♪さがし物はなんですか

見つけにくものですか

カバンの中も 机のなかも 探したけれどみつからないのに

まだまだ探す気ですか

それより僕と踊りませんか うふっふー♪

 

少し前に数珠をなくした。


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2018.12.25

Xmas2018

メリークリスマス

 

ということで、何もそれらしいことはしていないが、これだけは。。。

musu870


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2018.12.5

52歳の小目標 その3

人生の下り坂 52歳

しかし小目標を立てて小さな幸せを積み重ねたい、とう事で

 

小目標 その3 本を読む

えらいハードルの低い目標だと思われそうだが

南洲5830


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2018.12.3

ZEROへの道程 ーバイブルー

(ZEROへの道程 EPISODE5 闘病)

余命3ヶ月

セカンドオピニオンを求めて国立がんセンターへ転院してから40日余りが過ぎ

再び長野へ帰ることとなった。(帰ることができた)

その間、後藤先生との出会いなど最高のスタッフに治療をうけ、初めはなんとも

動きのなかった抗がん剤も、ある時を境に効き始めて、長野へ戻って治療を続け

ることになったのだ。

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2018.11.29

181128795

52歳の小目標その2

11月末日までに体重を80.0kg以下に落とす。

7955825

達成。(小さく幸せ)


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