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2019.01.4

ZEROへの道程 ー回復ー

(ZEROへの道程 EPISODE5 闘病)

 

ガンの動きは予測不能である。

平成12年10月 入院 余命3ヶ月

11月 国立がんセンターへ転院

抗がん剤投与も効果なし

12月 長野市民病院へ転院

平成13年1月 第4回目の抗がん剤投与(これで効かなかったら最後)

そして

2月 効かないと思っていた抗がん剤が突然効き始めた。

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平成13年2月14日

夕方の先生の説明は俺と竹元、小林で聞いた。宏道には別の日に先生が直接説明

してくれるとのこと。

 

1 10/24入院時、全くの手遅れの状況で完治、又は生き残りの可能性5〜1%と

いう状況だった。

2 2/8のCTの結果との比較

全く別人のごとく効果が出ている。約5分の1に縮小、しかし決して消えている

訳ではない。

3 今後はまず基礎体力の回復に努める(リハビリを含めて)風邪に注意。

4 週一回程度の検診、治療

5 1ヶ月程度の割合でガンの転移チェックを各機能ごとに行う。

6 平常生活者としての復活は当面無理と考えるが、年に数回程度の会合、公式

会議程度ならば、その時点の体調チェックが基本であるが出席は可能でしょう。

 

不思議、不思議、奇跡、

 

専門の先生の意見からも、と、言わざるを得ないらしい。

俺になにがあるのか、また生命が与えられそうだ。

どのくらいの命が、どのようにあるのか、心の準備が足りない、気負うのはやめよう。

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林 襄の日記まま

 

あとは退院前に、念の為検査を行うのみとなった。

その時だった。


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2018.12.3

ZEROへの道程 ーバイブルー

(ZEROへの道程 EPISODE5 闘病)

余命3ヶ月

セカンドオピニオンを求めて国立がんセンターへ転院してから40日余りが過ぎ

再び長野へ帰ることとなった。(帰ることができた)

その間、後藤先生との出会いなど最高のスタッフに治療をうけ、初めはなんとも

動きのなかった抗がん剤も、ある時を境に効き始めて、長野へ戻って治療を続け

ることになったのだ。

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2018.11.1

ZEROへの道程 ー藁ー

(ZEROへの道程 EPISODE5 闘病)

 

平成12年秋、父が余命3ヶ月の宣告を受けて

「藁をもすがる思い」

というやつを3回ほど試してみた。


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2018.10.1

ZEROへの道程 ー後藤医師ー

(毎月初めの ZEROへの道程;エピソード5 闘病)

 

国立がんセンター東病院

東京近郊とはいえ緑が多く、天気の良い日は公園のはるか先には富士山が見える。


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2018.09.3

ZEROへの道程 ー選択ー

病気の判断において、セカンドオピニオンがいかに大切か、

一番大きな人を失って学んだ。


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2018.08.1

ZEROへの道程 ー世間話ー

父、林襄と私の親子関係は少々いびつ?いや異常な状態だったと言える。

父親と「世間話し」をしたことがなかったのだから。


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2018.07.2

ZEROへの道程 ー余命ー

2000年、平成12年の秋 10月11日

長野県知事選挙の真っ只中で、永年勤めた吉村牛良知事の絶対的後継者であった

池田副知事に対抗して、なんと田中康夫が立候補してきたそんな時だった。


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2018.06.1

ZEROへの道程  10月24日

平成12年10月24日 入院初日

 

特別室ベッド間に合わず

せまい部屋だが電話とTVがあるのでがまん


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2018.05.16

スクラップブック

すでに死語かもしれない、

とヤングのよね子さん(23歳)やオカちゃんに尋ねたところ、その何たるかはさす

がに知っていた。

(質の悪い紙に新聞記事などを貼るやつ。ただし実物は見たことがないという)


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2018.05.1

ZEROへの道程 ーJCその3ー

1996年日本青年会議所全国会員大会 長野大会

私の30歳の区切りの年でもあった。

 

そして40歳定年をもってJCを卒業した。


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